今日、鳥取でJFL最終節の取材を終えて帰って来た。先週は地域決勝の取材で高知へ(何と、高速バスで往復した)、その前の週は日本代表の取材で南アフリカと香港にいた。来週は地域決勝の取材で今度は松本へ、戻った次の日からはクラブワールドカップの取材でUAEに飛ぶ。その間、次から次へと原稿依頼が舞い込み、ずっと締め切りに追われる日々が続いている。もちろん、仕事が途切れないということは、私のような仕事をしている場合、有難いことであることは言うまでもない。だが今月は、何度も家を空けていることについて、少なからず後ろめたい気持ちを抱えながら仕事をしている。
今月13日、私の義理の母(つまりカミサンのお母さん)が亡くなった。病名を聞いて、夫婦ともどもある程度は覚悟できていたものの、おりしも私が南アに出発する直前に、容体が急変しては持ち直すという日々が続き、こちらも気が気ではなかった。結局、代表戦があるポート・エリザベスに到着して2日目に訃報に接することとなったのだが、およそ20時間かけてやって来た南アから、再び日本にとって返すこともままならず、葬儀への参列は断念せざるを得なかった。何とも断腸の思いではあったが、せめてもの救いは、出発前にお別れの挨拶ができたことと、新著「フットボールの犬」を生前にプレゼントできたことであろうか(もっとも、すでに読書ができる状態ではなかったが)。
この業界は、かつては「親の死に目に会えない」と言われてきたそうである。が、おそらく今も状況は基本的には変わっていないと思う。ワールドカップや五輪をはじめとする国際大会は、2週間から1カ月に及ぶ長丁場であり、その間はずっと家を空けなければならない。加えて、限られたアクレディテーションカード(取材章)をいただいている身ゆえ、誰かに仕事の肩代わりをお願いするわけにもいかない。こちらの事情に関係なく、大会は進み、試合は行われる。家庭と仕事の板挟み。なかなかに苦しい立場である。
これまでにも、たびたび長期にわたって家を空けることについては、カミサンに申し訳ない気持ちを抱いてきた。だが今回の義母の件もあって、自分の両親のことを今さらながらに案じずにはいられなかった。幸い、父も母も今は元気だが、いずれ後ろ髪をひかれながら海外取材に赴かなければならない時期は、確実にやってくるだろう。もちろん先輩同両者の中には、親族の逝去にともない海外取材を直前で取りやめたり、大会期間中に一時帰国したりする人もいて、そうした姿を見るたびにわが身に置き換えて考えることもしばしばであった。だが、まだしばらくは先の話のように思えていたのも事実である。
かつて海外取材に赴くときは、私は自分自身のリスクしか考えていなかったように思う。というか、それだけを考えていればよかったのである。しかし気がつけば私も、家族の健康を慮りながら仕事をしなければならない年齢となった。それに合わせて最近は、国内外を飛び回るような今の仕事のスタイルが、果たしていつまで続けられるのだろうか、ということもよく考える。10年後、いやもしかしたら5年後には、仕事のスタイルはもちろん、取材対象そのものについても見直しを迫られることになるのかもしれない。
私の仕事はやりがいがある分、ちょっとした生活環境の変化で築き上げてきたものが一気に崩壊するくらい、脆弱で不安定なものだとも心得ている。だからこそ、たとえ「明日から廃業」となったとしても悔いのないように、取材先では日々、可能な限りベストを尽くすように心がけている。幸い今月も、また新たな取材のチャンスを得ることができた。不安と有難みを同時に感じつつ、再び旅の準備を始めることにしたい。 |