| 広瀬一郎さんの新著について 2010.2.28 Saturday |
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2月も今日で終わり。月が変われば、またひとつ年を取る(3月1日が誕生日)。毎度のことながら、のんびりしていても、しゃかりに働いていても、月日の流れが長く感じることはほとんどない。ちなみにワールドカップ開催まで、あと103日。このまま一気に祭典に突入、となるのは目に見えている。日本代表もかなり焦っているだろうが、私も妙に焦っている。この焦りの源泉については、何となく正体は分かっているのだけど、今はあえて多くを語るつもりはない。いずれにせよ、やらなければならないことはたくさんあるのに、どれから手をつければよいのか分からない日々が続いている。そんななか、うれしい身近なニュースをひとつ挙げるならば、広瀬一郎さんの新著「極私的サッカー見聞録 フットボールが世界とつながる11章」(東邦出版)が上梓されたことだろう。おそらく本稿がアップされるころには、もう書店に並んでいるはずだ。 広瀬一郎さんは、スポーツビジネスについて多少なりとも齧ったことのある人なら、知らない人はいないくらいの有名人である。電通時代には、トヨタカップやワールドカップといった世界的なサッカーイベントをプロデュース(この間のエピソードの数々は80〜90年代の日本のスポーツビジネスを巡る状況が垣間見えて、いつ聞いても興味が尽きない)。その間には2002年ワールドカップの招致活動で現場の陣頭指揮を執っていたり、Jリーグの経営諮問委員会にも名を連ねていた。 電通退社後は、さらにアグレッシブな動きを見せる。2000年にスポーツ・ナビゲーションを立ち上げると、02年まで同社代表として日本のスポーツ界におけるインターネットの地平を切り拓き、さらにはスポーツ総合研究所を設立して、さまざまな大学で教鞭をとりながら後進の指導にもあたっている。広瀬さんの教え子は、サッカーをはじめとするスポーツ界に散らばっており、それぞれが頭角を現している。いずれはこの国のスポーツ環境に変革を起こす、一大勢力になることだろう。 いわゆるイベントプロデューサーとか、起業家とか、教育者とか、そういった枠にとらわれることなく、広瀬さ んは常にスポーツと向き合い、それが文化としてこの国に定着するために試行錯誤と奮闘を繰り返し、多くの人々を巻き込みながら、様々な人材やシステムやムーブメントを創出してきた。そのすべてが成功したわけではもちろんないけれど、今も私たちの身近な存在として、すっかり定着しているものも少なくない。その最たるものがスポーツナビだと、個人的には思っている。会社自体は、02年のワールドカップ終了後にヤフー・ジャパンに事業譲渡されて今に至っている。それでも広瀬さんの遺産は、人材とノウハウと実績という面で、着実に現在のスポーツナビのベースを形作っている。逆にもし、広瀬さんがスポーツナビを作らなかったら、今のインターネットメディアを巡る状況は、今とは随分と違っていたものになっていたはずである。 個人的にも広瀬さんには随分とお世話になった。「スポーツナビ」という名前すら決まっていない、水面下で進められていたプロジェクトに関わることがなかったら、私はネット上でコラムを発表することもなかっただろうし、ワールドカップをはじめとする国際大会を取材して、現地から毎日レポートを発信することもなかっただろう。インターネットの普及という時代的背景と、スポーツポータルサイトの立ち上げというタイミングと、そして自分自身の方向性の模索という、この3つのタイミングがものの見事に符合したことで、私自身のその後の人生も大きく変わった。そのきっかけとなったのは、国立競技場でのある出来事だったのだが、これについては本書を読んでいただければと思う。 この本で広瀬さんは、脱線しまくりの「サッカー漫談」を繰り広げながらも、電通時代から現在に至るまでのスポーツビジネスとのかかわりについて、かなりのページを割いている。トヨタカップでの知られざるエピソード、ワールドカップ招致活動の舞台裏、スポーツナビ設立の経緯、などなど。その中に、もったいないことに拙著「ディナモ・フットボール」(みすず書房)についても、わざわざ1章を割いてくださっている。それなら、ということで、本書のカバー、および11の章扉に写真作品を提供させていただいた。こうした形で広瀬さんとのコラボレーションが完成したのも、何とも感慨深い。 広瀬さんの新著「極私的サッカー見聞録」は、サッカーにおける「語る楽しみ」「読む楽しみ」がふんだんに詰まった一冊である。書店で見かけたら、手にとっていただければ写真提供者としても幸いである。 |
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