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■私が生まれた時代について
自らの半生について、初めて文章化してみる。もとより誇るべき生き方などしていない、それどころかむしろ情けない、恥ずかしいエピソードばかりの我が半生ではある。が、一応は個人オフィシャルサイトを名乗っている手前、それなりに読ませるプロフィールというものは、コンテンツとして不可欠であろう。とりあえず現在の仕事をする以前のストーリーについて、人生の転機となった出来事を中心に書き起こしてみる。
どんな人間であっても、生まれてくる時代と場所、そして親を自ら選ぶことはできない。私の場合、1966年(昭和41年)3月1日、日本国福岡県三池郡にて、会社員の父と専業主婦の母との間に生まれた。両親が結婚したのは、東京五輪が開催された2年前。私は3人兄弟の長男である。生まれた場所が福岡の三池だったのは、たまたま父親の最初の赴任地が当地の炭鉱町であっただけの話であって、私自身は福岡という土地にも(そしてアビスパにもホークスにも)特に愛着は持っていない。
ちなみに66年という年は、ザ・ビートルズ来日、ワールドカップ・イングランド大会開催の年として記憶されるが、若い両親と幼子だった自分が映った当時のアルバムを眺めていると、今よりずっと希望に満ちていた時代の空気が偲ばれ、何とも不思議な気分にさせられる。日本人の大半が、高度成長期のうねりに飲み込まれていた時代。働けば働いただけ報われると信じられた時代。そして今よりも明るい未来に、誰もが夢を投影することができた時代……。
物心ついた時には、私の一家は東京で暮らしていた。最初は目黒区、次いで杉並区、そして父親がマイホームを立てたのが練馬区。一介のサラリーマンが都内に一戸建てを建てられた、夢多き時代の話である。
さて、私の少年時代について語る。履歴書を見る限り、私は2年間の大学浪人時代を除いて、小学校から大学院までずっと公立学校に通っていた孝行息子であった。けれども実際のところは、勉強が嫌い、スポーツも苦手、友だち付き合いも極端に下手で、親には心配ばかりかけていた。暇さえあれば、ぼんやりと怪獣や宇宙人のことを夢想しつつ、教科書の端っこにマンガばかり描いているような子供であった。
そんな私が「少年サッカー」という、健全かつ明朗な世界と接することになったのは、今にして思えば奇跡としかいいようがない。5年生の時に転校した小学校で、ひょんなことからサッカーボールを蹴ったことが、その後の人生を大きく変えることとなる。ちなみに当時の私は意外と俊足で、ゴール感覚に優れたセンターフォワードであった。
ただし「ボールは友だち!」と感じられた幸福な時代は、そう長くは続かなかった。中学でも高校でも、サッカー部に入部したものの、与えられたポジションはいつも「ベンチ」。公立の学校にしてはレベルが高かったこともあり、来る日も来る日もボール拾いとランニングと筋トレ。結局、試合に出場することはもちろん、練習でアピールする機会さえ与えられず、多感な6年間は空しく過ぎ去っていった。
後年のフットボールをテーマとした文章に、何ともいえぬシニカルな表現が散見されるのも、きっとこの時の体験が無意識下で影響しているのであろう。
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